2017年8月20日日曜日

小野田 寛郎さん 名言集

小野田 寛郎(おのだ ひろお)」(1922~)
日本の元陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校。
太平洋戦争が終結しても任務解除の命令が届かなかった為、
フィリピンのルバング島の密林に29年間、情報収集や諜報活動を続けた人物。
小野田さんの座右の銘は「不撓不屈」。「心が固く、困難に屈しない」という言葉です。
「戦いは相手次第、生きざまは自分次第」とも語っています。


1945年8月16日 日本全軍に対する停戦命令。
小野田さんには届かず・・・
昭和49年(1974)3月作戦任務解除命令を受け日本に帰還

 
一般に 外見は立派だと
中身まで良くなったと勘違いしてしまう
フィリピン軍に出頭したとき
私の服はぼろぼろだった
しかし 彼らは私を栄誉礼で迎えてくれた


「小野田少尉 命令受領に参りました」
私は不動の姿勢をとった
これで私の三十年戦争は終わった


武装解除に応じるため
フィリピンの空軍基地に出頭し
空軍司令官に両手で軍刀を差し出した
司令官は軽く手を触れただけで
すぐにそれを私に押し戻した
私は 日露戦争の時に
敵将ステッセルの軍刀を受け取らなかった
乃木大将を思い出した


《捜索》とか《救出》ということは
周りが勝手に言っていたこと
私は行方不明者でも遭難者でもなかった
私はただ任務を遂行していただけだ
他人は勝手に私を想像する
三十年間の私を知らないで


情報将校に求められるのは 柔軟性と記憶力だが
一番大切なものは 忠誠心だ


陸軍では本来「捕虜になるなら死ね」と教えられていた
中野学校は違っていた
「死ぬくらいなら捕虜になっても生きろ」


よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが
頑張ったのではなく
頑張らざるを得なかったのだ
皆がやっていることを
自分だけくじけたら 笑われるから


人間は一人では生きられない
ルパング島での一番の悲しみは 戦友を失ったことだった
魚は水の中でしか 人は人の中でしか 生きられない


日本に帰還して話をすると
口の両端に唾液が泡みたいに溜まってしまった
ジャングルでは
口を動かすのは物を食べる時だけだったので
体が勘違いしたのだろう


豊かさは自分の心で感じるもの
不便さは何とかなる
最後は自分の五体で何とかなる


計画どおりにいかないことは沢山あるが
思いどおりにはいくものだ
不満など どうってことはない
自分の満足度を少しだけ変えればよいのだから


できない理由が分かればしめたもの
それを解決すればできる
要は、やる気があるのかないのか
それが結果を変えてしまいます


コンパスは 方向を教えてくれるが
川や谷の避け方は教えてくれない
コンパスばかり見ていると 川や谷に落ちてしまう
自分で考えて判断しなければ





生きることは夢や希望や目的を持つこと。
それらは教えられたり強制されたりしても、
湧くものではない。
自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。

言っていることは親は分かっているのです
ただ 言われている子供は理解できないのです
やさしい言葉で 優しくゆっくり丁寧に 
感情的にならずに話してあげてください
きっと分かってもらえますから

いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、
誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、
手に入らないのですよ。
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。
(小野田寛郎の母の名言)

親と子も 先生と生徒も 上司と部下も同じです
目下の者は 口に出せないだけで 
実は上の者をじっくり見ているのです
好きか嫌いか 良いか悪いか 必要か必要でないか
人の見方は 心と気持ちと理屈で変わるものです

親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。
親の顔を見たくなくなったらおしまい。
親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。
親子は鏡。

親の苦労を見聞きして育った子供は
自分のことを真剣に考えます
今 親が子供に苦労ということを伝えられないのは
親が苦労を避けているからなのでしょうか

親子の絆 社会との絆 自然との絆
《絆》は ただ繋いで縛り付けているだけでは生まれません
信頼という見えない紐で結ばれていないと

過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。

危機なんてどうってことはない
ルパング島では毎日が危機だった
負けたわけではないし 死んだわけでもない
危機は 乗り越えればいい

「キレる人」という言葉は
昔は「頭の回転の早い人」を指す時に使う誉め言葉でした
今は「理由もなく突然争いを始める人」の代名詞のようです
親子の信頼 友達との交流
職場の協調などの絆が切れると「キレる」のです
切れた絆を結びなおせば「キレる」ことはなくなるでしょうが
大変な自覚と努力が必要です

栗のイガは 遠くから見ると丸く見えますが
近くで見ると 一つ一つのトゲが全て別々の方を向いています
方向や距離によって見方を変えると
新しい発見があります 先入観は邪魔物
ものごとは一方向から見ただけでは分からないものです

計画どおりにいかないことは沢山あるが、
思い通りにはいくものだ。
不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。

行動には必ず目的があるはずです
目的に合わないことを苦労してやっても報われません
「何のために」「どうして」と自問することが大切です

子供を見ていると
「親をなんとかしないと」と思われてくる
親は子供の鏡だというが
鏡は 枠がしっかりしていない割れやすい

子供たちも きちんとした教育や躾を受けおけば
社会で叩かれてもしっかりと対応できるでしょう
親や社会が 子供たちの外見でなく
音色を注意深く聴くことが大切です
良い漆器は きちんと乾燥させてあるから
指で弾くと いい音がする

コンパスは方向は教えてくれるが、
川や谷の避け方は教えてくれない。

サバイバルとは、
今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、
なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。

叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。
叱りすぎると叱った人が慢心し、
褒めすぎると誉められた人が増長する。
それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。

事実は千差万別、人それぞれで見方が変わるものですが
真実は一つ
事実と真実をしっかり見極める眼力を養うことが必要です
正しいと思ったことでも
事実であっても真実でないこともあるのです
思い込みは危険です

自制や自律は筋肉と同じ。
鍛練すれば強くなり放っておくと、
生まれた時の自我に戻ってしまう。

自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、
本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか。

自分の子供を 他人の子供と比べてはいけない
子供を辛くさせるだけ
自分は自分 他人は他人

戦いはいつでも 弱い方が負けるのです
怖気づいたり 油断をしたり 甘えたり 作戦が間違っていたり
技量が低かったり 体調が悪かったり・・・
だが負けた原因さえ分かれば 次はきっと勝てます

戦いは相手次第。
生き様は自分次第。

他人に言われてする反省は 後悔にしかなりません
自分で気づいた反省は 将来の改善になります
しかし 自分で反省するには
謙虚さ 素直さ そして冷静さが必要です
難しいことです

疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。
満腹な時、体調の良い時は、油断をする。

強い人ほど優しい。
強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。
誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。
それには強くならなければ。

道具は正しく使ってこそ道具。
間違うと凶器になる。

努力しても方法を間違えては、
失敗する。

何事も熱いうちは大丈夫。
冷たくなったらおしまい。
人は熱しやすく冷めやすい。

ニートとかフリーターの多いことに驚く
もう子供でもないのに 親の背中を見ていないのだろうか
それとも 親がペットの代わりに飼っているのだろうか
疑いたくなる
人は 必ず 老いる

日本に帰還した時、
やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。
私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。
権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。

鉢植えの植物は 毎日水をやらないと枯れてしまいます
地植えの植物は 自分で水を蓄えて頑張ります
子供は 時期が来れば親離れして 自立していく
心配なのは 親が子離れしないこと

馬鹿な人は嫌いだ。
馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。
自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。
人は一人では生きられないのだから。

紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。
しかし、解きやすいことも大切。
何でもやれば良いと言うものではない。
何をやるにも経過も結果も大切。
結果の先のことはもっと大切。

二人で力を合わせてピンと張っているから《絆》になる
どちらかが力を抜けば《絆》の相手は倒れてしまう
綱引きと同じだ

貧しくたっていいじゃないか
乏しくたっていいじゃないか
卑しくなければ

「もう」と思ったら立ち止まってしまう
「まだまだ」と思えるから進める
あきらめてはいけない

約束の時間に遅れれば、
その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。
約束を守れない人は信用されず、
自分の人生を無駄にすることになる。

やってしまったことは「しかたがない」
これからどうするかだ
くよくよすれば負け犬になってしまう
負け犬は 遠くからほえるだけで むかってこない

夢や希望を語るのは思っているだけ。
それを目的に変えなければ達成できない。
「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。

よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、
頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。
皆がやっていることを、
自分だけくじけたら笑われるから。

礼儀は挨拶ではない。
家庭や社会で筋道をつけること。

笑ってすませる時もあれば
叱ってすませる時もあるが
決して怒ってはいけない
怒っている時は 獣になっている

 
世の中には出来そうにないことでも、
やらなければならないことがあるし、
できることでもやってはいけないことがある。

この判断基準こそが、
その人の価値を決める。