2021年12月25日土曜日

子どもに良い環境を整えてあげるのは、大人の責任 ーー真弓 定夫

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
――子どもはマインドコントロールされていないから、 なんでもすんなり入っていきます。 良い習慣も悪い習慣も大人から子どもへ 受け継がれていきますから、 良い環境を整えてあげるのは、 大人の責任ですよ。― 真弓定夫 ―
 
― プロフィール ―
真弓 定夫(医学博士)
1931年東京生まれ。 東京医科歯科大学を卒業後、同大学病院小児科学教室を経て、1961年より佐々病院(西東京市)に勤務。同病院小児科院長を務めた後、1974年に真弓小児科医院を吉祥寺に開設し、自然流子育てを提唱し、様々な講演会などでも活躍中。2003年4月には社会文化功労章(日本文化振興会)を受賞。『自然流育児のすすめ』『医者いらずクスリしらずの健康法』など、著書も多数。
 
 
◆育児はその人が生まれ育つ20年前から始まるのです。そしてお腹の中にいる間の十月十日が、生まれてからの80年よりもよっぽど大切なのです。
昭和20年以前は、みんな当たり前のように自然に育っていました。それまでの小児科医はみんな今の私のようなスタイルで行っていたのです。当時の病院において、薬をどうしても出さなければいけない時は、一人ひとりに合わせて薬を作っていたものです。 そもそも発熱、下痢、目やになどは、子供が病気を治そうと必死に闘っている症状です。下痢なんて、水と人参で治ってしまうし、熱が1週間続いても、咳が1カ月続いても、病院に行く必要はありません。みなさんのお家の台所には薬がいっぱいあるのですから。 ただ体温が低い場合には、免疫力が下がってしまうので気をつけなければいけません。これについて詳しくは『37℃のふしぎ』を読んでください。
 
 
◆病を見るな、人をみよ!
もし子どもの症状が気になるときには、機嫌(精神面)、元気(身体面)、快食、快眠、快便といった、この5つをチェックしてください。これらに何の問題もなければ気にすることはありません。もし問題があったら、私のように出来る限り薬を出さない小児科医に相談してください(笑)。 基本的に当たり前の事をしていれば、病気になんてならないのですが、マスコミ報道にしてもお金儲けの事ばかりです。インフルエンザがその最たるものですね。予防接種をすればするほど、体は弱くなり、自然治癒力は低下してしまいます。私の所に来る患者さんは、誰一人としてインフルエンザの予防接種をしていませんよ。タミフルなんて、もちろん使用していません。世界中のタミフルの75パーセントを日本が買っているのをご存知でしょうか? 日本の人口は世界のたった2パーセントなのに、これは恐ろしいデータですね。しかもインフルエンザは若者が標的になっているのです。インドネシアは完全拒否しているというのに、日本ではワクチンとタミフルを売り込むために国民が煽られている事に、私は「目を覚ましてください!」とずっと言い続けているのです。
 
 
◆今こそ、日本人本来の 食生活を取り戻しましょう!
教育、保健所の職員をはじめ、今はもう国全体がおかしくなっているのです。これらのシステムは終戦の年にアメリカという国が意図的に行った政策(3R・5D・3S政策)の影響です。戦後1945年から1952年はアメリカの占領下だったから仕方がなかったのです。その間はモラルの低くて肩書きの高い大学教授、教育長、保健所長などに、「パンと牛乳は体に良い」などといったアメリカの代弁をさせ、食卓からごはんとみそ汁をなくそうとしたのです。日本人の欧米化とは、日本を劣化させる政策でした。 そしてその7年間の占領が解けたときに、日本人本来の生活に戻そうと動いた心ある政治家、医者、教育者は、日本の経済発展を妨げるという理由で、左遷させられたりやめさせられたりしていったのです。そうして戦後生まれの洗脳された人々が今、政治家や医者になってしまっているのですから、もう大変です。 正論を唱える人々はどこかへ飛ばされてしまいます。私たちはそういう国に住んでいるとのだという事を、しっかりと自覚しなければいけません。 神武天皇のころから昭和20年までの人々は、二千年間みんな同じものを食べてきました。それまでの全ての男性は聖徳太子と同じような食生活をしてきたし、女性だったら紫式部や清少納言などと同じような食生活をつい65年前までしてきたのです。そういった食事で優秀な日本人が育っていったのです。歴史を振り返ると、どれほど急激なスピードで欧米化されていったのかがわかるでしょう?
 
 
◆牛乳の影響とは?
動物はその動物に合わない食生活を続けていると、その動物が一番よく使っている組織へ最初に被害が及びます。魚ならば尾びれや背びれ、そして猿ならば手足、人間ならば脳です。 私が小児科医になって最初に診ていた子ども達は、もう還暦を過ぎています。今も毎日のように診療を続けていますが、私はいつもお爺ちゃんやお婆ちゃんの知恵を教え、伝えているだけなのです。戦後のアメリカの政策によって、国民は核家族化させられ、お爺ちゃんやお婆ちゃんの素晴らしい知恵を奪われてしまいました。 例えば牛の体温は38.5℃分ぐらいなのですが、その牛乳が36℃~37℃ぐらいの人体に入るとどうなると思いますか? 牛乳の中の脂肪は体内では完全に解ける事ができない為、少し牛乳を飲むと消化できない脂肪が皮下脂肪となり、もっと飲むと内臓に脂肪がつき、ゆくゆくは人工透析などが必要になります。しかも日本人の腸には牛乳のカルシウムを吸収するために必要なラクターゼという酵素が少ないので、消化しきれないのです。 こんなことは医者が言うことではないのです。本来であればお爺ちゃんやお婆ちゃんが教えてくれていた事なのです。
 
 
◆母子手帳の知られざる真実
みなさんはどうやって母子手帳が作られたのかご存知でしょうか? アメリカの占領下だった昭和22年に、牛乳の普及の為に保険法が解約されます。それまでは自宅分娩で生まれ、産婆さんの手によるお産がなされていたのです。しかしアメリカの政策により、産婆さんは助産婦へと格下げさせられてしまいます。 そして昭和23年にアメリカで作られた母子手帳が、そのまま日本語に翻訳される形で作られたのです。要するに、これはアメリカの乳業振興策として作られたもので、日本の医師や厚生省などはこの政策に関与していないのです。つまり、アメリカの乳業が乳製品を日本へ売り込むために製作したものなのです。そんな母子手帳の発端であるアメリカでは、1977年に発表されたマクガバン・レポートによって、この母子手帳の内容が子どもの健康上に不適切だとし、その後は母子手帳を使用しなくなったのです。それでも尚、日本では今も当然のように使用しているのです。 そしてこの方法によってアメリカが膨大な利益を得た為、昭和33年にはさらに学校給食へ牛乳を導入するようになりました。そういった流れから、牛乳の消費が日本で急激に高まり、それと同時にアレルギー、成人病が増えていきました。乳業界にとって学校給食は3兆円産業のマーケットであり、乳業は校長などの天下り先となり、それらを批判する人々は左遷させられていきました。保健所も学校も、政府の経済優先的政策にまんまと乗せられてしまったのです。 その上アメリカの占領期間中は、保健所に就職出来る栄養士は乳業の専従栄養士だけだったのです。ですから、保健所では今も昔も乳製品を当然のように勧める訳です。『病気にならない生き方』の中で新谷弘実さんは、この一連の出来事を「見事なビジネスモデル」と書いているぐらいです。ですから今こそ、みなさんが様々な世の中の事柄を見直す時なのです。
 
 
◆小さな頃から子ども達には良い習慣を身につけさせてください。生まれてからでは遅すぎる、受胎してからでは遅すぎるのです。
そしてこれからは極力電気を使わないように努め、薬や牛乳を飲まない事が大事です。イギリスでは携帯電話を16歳以下の子供の使用を控えるように指導しているというのに、日本では厚生省が小学校の教室に携帯電話を導入してしまいましたが、これが何故だか判りますか? 要するに国の借金を返す為なのです。今、日本の年間税収は40兆円を切ろうとしています。それに対して支出が95兆円なのです。その全てのツケは、今後あなた方のお子さんやお孫さんに回ってくるのです。だから国は国民に電気、自動車、薬、牛乳などをどんどん消費させているのです。いいですか、人生は一度きりですよ! お金なんて人間にとって大事なことではありません。それよりも、もっともっと大事なことが世の中には沢山あります。みなさん早くそういった事に気づいていってください。
60年間に渡りこういった素晴らしい活動をしてきた事が評価され、近年に社会文化功労章を受賞されたという真弓先生。これからも、まだまだ学ばせていただくことが多く、いつまでもお元気で活躍していただきたいと心から願わずにはいられません。
 
 
 
※引用先が消失しましたので

2020年8月17日月曜日

免疫学と微生物学の基本

【ダン・エリクソンDr. Dan Erickson医師】

免疫システムは
ウイルスや細菌などの抗原に曝露して構築されます
幼いころにハイハイしたり
口に物を入れたりして
ウイルスと細菌が体内に侵入すると
抗原・抗体複合体が産生されます
こうして免疫システムは構築されます
子どもを部屋の中に閉じ込めていては
健康な免疫システムは発達しません
これは免疫学と微生物学の基本です
人々に家に居ろ家中のカウンターを掃除して
除菌クリーナーで99%のウイルスとバクテリアを殺菌しろ
マスクを着けて、外出するなと命令したら
免疫システムはどうなるでしょうか?
免疫システムは細菌やウイルスが入ってくるのに慣れています
日常的に免疫応答を構築しています
それが無くなると免疫力が低下します
外出禁止が1カ月続くと更に落ちます
家で一生懸命に手を洗いカウンタ―を掃除して
生きるのに必要な抗原を心配しています

【アルティン・マシヒDr. Artin Massihi医師】

私たちは曝露すべき正常フローラがあります
毒性が強くない細菌やウイルスは我々の友達です
毒性の強い細菌やウイルスから我々を守ってくれます
エリクソン医師や私の皮膚には
連鎖球菌やブドウ球菌がいます
全てのブドウ球菌や連鎖球菌が悪い訳ではありません
日和見感染から守ってくれるからです
赤ちゃんが生後3~6カ月間
日和見感染に非常に弱いのは
環境中の(ウイルスや細菌からなる)正常フローラが無いからです
環境と接触してきたあなたにはあります
私たちは皆正常フローラが必要です
エリクソン医師は
2~3か月間
自己隔離する間に正常フローラが無くなると言っているのです

【質問者より】
外出禁止やソーシャルディスタンスは良くないと仰っているのですね?

【ダン・エリクソンDr. Dan Erickson医師】
免疫力が低下します
免疫システムが正常ではない人は
免疫システムを構築できなため
隔離します
免疫システムが正常な人では
環境と触れ合う必要があります
隔離は免疫機能を低下させます
外出禁止が解除されて
免疫が低下した人々がウイルスや細菌を交換するとどうなると思いますか?
病人が激増します

【動画より文字起し】

参考LINK
http://hokuonow.com/2020/04/27/corona-sweden-dr-erickson/

2017年8月20日日曜日

小野田 寛郎さん 名言集

小野田 寛郎(おのだ ひろお)」(1922~)
日本の元陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校。
太平洋戦争が終結しても任務解除の命令が届かなかった為、
フィリピンのルバング島の密林に29年間、情報収集や諜報活動を続けた人物。
小野田さんの座右の銘は「不撓不屈」。「心が固く、困難に屈しない」という言葉です。
「戦いは相手次第、生きざまは自分次第」とも語っています。


1945年8月16日 日本全軍に対する停戦命令。
小野田さんには届かず・・・
昭和49年(1974)3月作戦任務解除命令を受け日本に帰還

 
一般に 外見は立派だと
中身まで良くなったと勘違いしてしまう
フィリピン軍に出頭したとき
私の服はぼろぼろだった
しかし 彼らは私を栄誉礼で迎えてくれた


「小野田少尉 命令受領に参りました」
私は不動の姿勢をとった
これで私の三十年戦争は終わった


武装解除に応じるため
フィリピンの空軍基地に出頭し
空軍司令官に両手で軍刀を差し出した
司令官は軽く手を触れただけで
すぐにそれを私に押し戻した
私は 日露戦争の時に
敵将ステッセルの軍刀を受け取らなかった
乃木大将を思い出した


《捜索》とか《救出》ということは
周りが勝手に言っていたこと
私は行方不明者でも遭難者でもなかった
私はただ任務を遂行していただけだ
他人は勝手に私を想像する
三十年間の私を知らないで


情報将校に求められるのは 柔軟性と記憶力だが
一番大切なものは 忠誠心だ


陸軍では本来「捕虜になるなら死ね」と教えられていた
中野学校は違っていた
「死ぬくらいなら捕虜になっても生きろ」


よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが
頑張ったのではなく
頑張らざるを得なかったのだ
皆がやっていることを
自分だけくじけたら 笑われるから


人間は一人では生きられない
ルパング島での一番の悲しみは 戦友を失ったことだった
魚は水の中でしか 人は人の中でしか 生きられない


日本に帰還して話をすると
口の両端に唾液が泡みたいに溜まってしまった
ジャングルでは
口を動かすのは物を食べる時だけだったので
体が勘違いしたのだろう


豊かさは自分の心で感じるもの
不便さは何とかなる
最後は自分の五体で何とかなる


計画どおりにいかないことは沢山あるが
思いどおりにはいくものだ
不満など どうってことはない
自分の満足度を少しだけ変えればよいのだから


できない理由が分かればしめたもの
それを解決すればできる
要は、やる気があるのかないのか
それが結果を変えてしまいます


コンパスは 方向を教えてくれるが
川や谷の避け方は教えてくれない
コンパスばかり見ていると 川や谷に落ちてしまう
自分で考えて判断しなければ





生きることは夢や希望や目的を持つこと。
それらは教えられたり強制されたりしても、
湧くものではない。
自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。

言っていることは親は分かっているのです
ただ 言われている子供は理解できないのです
やさしい言葉で 優しくゆっくり丁寧に 
感情的にならずに話してあげてください
きっと分かってもらえますから

いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、
誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、
手に入らないのですよ。
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。
(小野田寛郎の母の名言)

親と子も 先生と生徒も 上司と部下も同じです
目下の者は 口に出せないだけで 
実は上の者をじっくり見ているのです
好きか嫌いか 良いか悪いか 必要か必要でないか
人の見方は 心と気持ちと理屈で変わるものです

親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。
親の顔を見たくなくなったらおしまい。
親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。
親子は鏡。

親の苦労を見聞きして育った子供は
自分のことを真剣に考えます
今 親が子供に苦労ということを伝えられないのは
親が苦労を避けているからなのでしょうか

親子の絆 社会との絆 自然との絆
《絆》は ただ繋いで縛り付けているだけでは生まれません
信頼という見えない紐で結ばれていないと

過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。

危機なんてどうってことはない
ルパング島では毎日が危機だった
負けたわけではないし 死んだわけでもない
危機は 乗り越えればいい

「キレる人」という言葉は
昔は「頭の回転の早い人」を指す時に使う誉め言葉でした
今は「理由もなく突然争いを始める人」の代名詞のようです
親子の信頼 友達との交流
職場の協調などの絆が切れると「キレる」のです
切れた絆を結びなおせば「キレる」ことはなくなるでしょうが
大変な自覚と努力が必要です

栗のイガは 遠くから見ると丸く見えますが
近くで見ると 一つ一つのトゲが全て別々の方を向いています
方向や距離によって見方を変えると
新しい発見があります 先入観は邪魔物
ものごとは一方向から見ただけでは分からないものです

計画どおりにいかないことは沢山あるが、
思い通りにはいくものだ。
不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。

行動には必ず目的があるはずです
目的に合わないことを苦労してやっても報われません
「何のために」「どうして」と自問することが大切です

子供を見ていると
「親をなんとかしないと」と思われてくる
親は子供の鏡だというが
鏡は 枠がしっかりしていない割れやすい

子供たちも きちんとした教育や躾を受けおけば
社会で叩かれてもしっかりと対応できるでしょう
親や社会が 子供たちの外見でなく
音色を注意深く聴くことが大切です
良い漆器は きちんと乾燥させてあるから
指で弾くと いい音がする

コンパスは方向は教えてくれるが、
川や谷の避け方は教えてくれない。

サバイバルとは、
今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、
なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。

叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。
叱りすぎると叱った人が慢心し、
褒めすぎると誉められた人が増長する。
それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。

事実は千差万別、人それぞれで見方が変わるものですが
真実は一つ
事実と真実をしっかり見極める眼力を養うことが必要です
正しいと思ったことでも
事実であっても真実でないこともあるのです
思い込みは危険です

自制や自律は筋肉と同じ。
鍛練すれば強くなり放っておくと、
生まれた時の自我に戻ってしまう。

自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、
本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか。

自分の子供を 他人の子供と比べてはいけない
子供を辛くさせるだけ
自分は自分 他人は他人

戦いはいつでも 弱い方が負けるのです
怖気づいたり 油断をしたり 甘えたり 作戦が間違っていたり
技量が低かったり 体調が悪かったり・・・
だが負けた原因さえ分かれば 次はきっと勝てます

戦いは相手次第。
生き様は自分次第。

他人に言われてする反省は 後悔にしかなりません
自分で気づいた反省は 将来の改善になります
しかし 自分で反省するには
謙虚さ 素直さ そして冷静さが必要です
難しいことです

疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。
満腹な時、体調の良い時は、油断をする。

強い人ほど優しい。
強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。
誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。
それには強くならなければ。

道具は正しく使ってこそ道具。
間違うと凶器になる。

努力しても方法を間違えては、
失敗する。

何事も熱いうちは大丈夫。
冷たくなったらおしまい。
人は熱しやすく冷めやすい。

ニートとかフリーターの多いことに驚く
もう子供でもないのに 親の背中を見ていないのだろうか
それとも 親がペットの代わりに飼っているのだろうか
疑いたくなる
人は 必ず 老いる

日本に帰還した時、
やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。
私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。
権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。

鉢植えの植物は 毎日水をやらないと枯れてしまいます
地植えの植物は 自分で水を蓄えて頑張ります
子供は 時期が来れば親離れして 自立していく
心配なのは 親が子離れしないこと

馬鹿な人は嫌いだ。
馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。
自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。
人は一人では生きられないのだから。

紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。
しかし、解きやすいことも大切。
何でもやれば良いと言うものではない。
何をやるにも経過も結果も大切。
結果の先のことはもっと大切。

二人で力を合わせてピンと張っているから《絆》になる
どちらかが力を抜けば《絆》の相手は倒れてしまう
綱引きと同じだ

貧しくたっていいじゃないか
乏しくたっていいじゃないか
卑しくなければ

「もう」と思ったら立ち止まってしまう
「まだまだ」と思えるから進める
あきらめてはいけない

約束の時間に遅れれば、
その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。
約束を守れない人は信用されず、
自分の人生を無駄にすることになる。

やってしまったことは「しかたがない」
これからどうするかだ
くよくよすれば負け犬になってしまう
負け犬は 遠くからほえるだけで むかってこない

夢や希望を語るのは思っているだけ。
それを目的に変えなければ達成できない。
「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。

よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、
頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。
皆がやっていることを、
自分だけくじけたら笑われるから。

礼儀は挨拶ではない。
家庭や社会で筋道をつけること。

笑ってすませる時もあれば
叱ってすませる時もあるが
決して怒ってはいけない
怒っている時は 獣になっている

 
世の中には出来そうにないことでも、
やらなければならないことがあるし、
できることでもやってはいけないことがある。

この判断基準こそが、
その人の価値を決める。

2016年7月23日土曜日

『母子手帳 驚愕の真相!』真弓定夫先生(薬を出さない小児科医)

真弓医師:希少な時間をいただいて申し訳ありません。今日ワクチンというテーマでお集まりになってらっしゃるわけですけども、母子手帳、今皆さん方が今使っている母子手帳がどこで作られたかということをご存知の方どのぐらいいらっしゃるでしょうか?

どこで作られたでしょう、国はどこですか?
「アメリカ」

アメリカの誰が作ったものですか?
乳業会社です


だからワクチンの弊害、母子手帳の大きな問題は牛乳のことなんですけども、もう一つが今日のテーマですね。

アメリカは1945年日本で戦争で勝ってる。戦争では勝ったけれども日本という国がアメリカに比べていかに優れた国なのか。
日本人がアメリカ人よりいかに優れた民族なのかということをマッカーサーとかルーズベルトが昭和20年の段階1945年の段階知るわけです。

その日本の優れた文化が繋がっていくとまた第2の真珠湾攻撃が受けるようになるかもしれない。それをするには日本人を劣化させなくてはいけない。劣化させる上で一番役に立てたのが母子手帳なんです。

母子手帳は1915年にアメリカに全国酪農協議会というのが出来まして、政府と乳業が癒着をする訳ですね。それを広める為に、1930年に母子手帳を乳業会社が作ったんです。アメリカの政府が作ったものではありません。

戦争に勝った時にそれまで30年、1915年から1945年までアメリカに、うーんといろんな病気が広まっていった、 民族性も劣化していった。日本人を劣化させるにはアメリカで失敗した母子手帳をそのまま日本人に使わせれば良いという事で1945年からいまだに使っているんです。

英語で書かれたものを昭和23年に日本語に訳して日本人をガタガタにしてきたんですね。70年間、アメリカでは育児には適さないという事でとっくに廃棄されています。あんな母子手帳使っているのは日本だけなんです。

長々と申し上げて申し訳なかったけれど、その時に母子手帳の最後になんて書かれているか、昭和23年から使われている母子手帳の最後にご覧なればわかります。こういう予防接種をしなさいと書いてあります。

昭和22年までは日本では予防接種なんてしてないんですよ。我々はそういう根本的な原因は母子手帳にあるんだってこと、皆さん方が、しっかり知ってそれを子供や孫たちに伝えてってください。ワクチンは絶対受けないようになさってください。


2015年8月16日日曜日

リビアの指導者【カダフィ】


リビアの指導者【カダフィ】さんは
本当に【とんでもない悪い奴???】
だったんですね。

【カダフィ】さんが独裁者としてのさばってたリビアはこんな国だったのです!

・教育費は無料
・医療費も無料
・電気代はなんとタダ!
・ガソリンはリッター10円
・税金がゼロ!
・ローンに利子は無し!

そして

・全国民に家を持たせた
・新婚夫婦には5万ドル(500万円)の住宅補助金を支
・失業者には無償で家を支給

さらに

・車を購入する際は、政府が半額負担
・農業を始めたい人には土地、家、家畜、飼料など全て支
・薬剤師になりたい人には必要な経費は全額無料

まだまだあります。

・子どもを産んだ女性には5千ドル(50万円)を支給
・学校卒業後、仕事に就けない人は、仕事に就けるまで国が相応の給与を支給
・国民の25%が大卒資格者
・石油の売上の一部を、全国民に現金で支給

引用LINK
http://bossanovaday.hamazo.tv/e4223198.html

ポツダム宣言現代語訳

ポツダム宣言現代語訳

1945年7月26日
米、英、支三国宣言
(1945年7月26日「ポツダム」において)

1、われらアメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席、およびイギリス首相は、われら数億の国民を代表して協議の上、日本国に対して、今回の戦争を終結する機会を与えることに意見が一致した。

2、合衆国、イギリス帝国および中華民国の巨大な陸、海、空軍は、西方より自国の陸軍および空軍に数倍の増強をしており、日本国に対して最後の打撃を加える態勢を整えている。

この軍事力は、日本国が抵抗をやめるまで、日本に対して戦争を遂行する連合国の決意によって支持され、かつ鼓舞されて居るものだ。

3、世界の自由な人民に対する、ドイツ国の無益で無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示している。

現在日本国に対して集結しつつある力は、抵抗するナチスに対して適用された、全ドイツ国民の土地、産業および生活様式を必然的に荒廃に帰した力に比べて、測り知れないほど更に強大なものだ。

われらの決意に裏打ちされた、われらの軍事力を最高度まで使用することは、日本国の軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味している。また同様に、必然的には日本国本土の完全なる破壊を意味している。

4、無分別なる打算によって、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる我儘なる軍国主義的な助言者によって、日本国がひきつづき統御させられるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを日本国が決意すべき時期が到来した。

5、われらの条件は以下の如し

われらは、この条件より離脱することはない。これに代わる条件は存在しない。われらは遅延を認めない。

6、われらは無責任な軍国主義が、世界より駆逐されるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序は実現不可能であることを主張する。日本国国民を欺瞞し、それによって世界征服の挙に出るという誤ちを犯させた者の権力および勢力は、永久に除去されなければならない。

7、右の如き新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕された確証に至るまで、連合国の指定する日本国の諸地点は、われらの指示する基本的な目的の達成を確保するために占領させられる。

8、カイロ宣言の条項は履行されるべきで、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびにわれらの決定する諸小島に限定される。

9、日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰して、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得るべき。

10、われらは日本人を民族として奴隷化する、または国民として滅亡させようとする意図を有しているわけではないが、われらの捕虜を虐待した者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加えるだろう。

日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的な傾向の復活強化に対する、一切の障壁を除去すべし。言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立させられるべし。

11、日本国はその経済を維持して、かつ公正な賠償の取立を可能にするため、産業を維持することは許される。

ただし、日本国が戦争のために再軍備をするような産業はこの限りではない。右の目的のために原料の入手(その支配とは区別する)は許可される。日本国は、将来の世界貿易関係への参加を許される。

12、前記の諸目的が達成され、かつ日本国国民によって自由に表明される意思に従って、平和的な傾向があり、かつ責任ある政府が樹立された場合においては、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する。

13、われらは日本国政府が、ただちに全日本国の軍隊の無条件降伏を宣言して、かつ右の行動における同政府の誠意で、かつ充分なる保障を提供することを日本政府に対して要求する。

右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとする。

ラダ・ビノード・パール



要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年 間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。 私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文 の中に綴った。 その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。 それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる 真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。 あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。

ラダ・ビノード・パール
(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)